To the End of Life.

2008.05.04 日曜日

中小企業診断士 和田伸午のおもしろビジネス放談
三十歳から四十五歳を無自覚に過ごすな~西堀晋氏~


このエントリを見てみると、いろいろ思うところがあります。
最近技術ネタではなくて、思想・考え的な内容ばかりですが…。

 

松下電器にてエアコンデザイナー→プロダクトデザインの挫折→カフェオーナー兼フリーランスのデザイナー→Apple入社(36才)。

リンク先のページで紹介されているかたの仕事の軌跡。
こんな仕事を経た西堀さんというかたの生き方に共感(なにか人ごとと思えない不思議感)を得ました。

よく、チャンスは用意をしている人に訪れる(ちょっと違うかも)と聞きますがまさにその通りかと。なにかに向かって、具体的に行動して積み重ねた”実績”があればこその結果。

 

私が素敵だと思うのは、その実現手段の在り方がとても「しなやか」なところなんですね。

「しなやかさ」として竹にたとえるところが、すごくリアルで美しい。

 

しかし、どれを見ても、一本芯が通っているのは間違いない。そして竹のように弾力があって、よくしなう感じ。弾力を秘めた柔らかさ。「企業」か「個人」か、「デザイナー視点」か「生活者視点」か、これをトレードオフな関係と捉えるのではなく、竹のように両方を行ったり来たりする。そして決して折れない。

そうそうこれこれ。僕がいつも言う「客観的視点を持つ」ってのはこのこと。
どれか一辺倒になるのではなく、1つの軸はしっかりと根をはったまま、柔軟に。行ったり来たり。

おれデザイナー。おれプログラマだからここまで。ってもう言ってる時代じゃない。
できる人はどんどん根を広げて、デザイナーの垣根を越えた活躍をする。1つのものにとらわれる人は、相当なプロフェッショナル(その筋の第一人者ぐらいのレベル)ではない限り、その先に開けた道は無いと思う。

最近、デザイン単体の仕事がおもしろくないと感じてきているのも、なんとなく納得がいくような気がする。デザインに関しては相当ノウハウが貯まってきていて、やり慣れていることからある程度の時間である程度のレベルのアウトプットは出るようになってきた。

が、おもしろみがなくなってきたような気がする。過去の経験を組み替えているだけな感じ。
「竹」のように、違う方向へと”ゆれる”べき時期なのかもしれない。

 

僕にとって自分のいる環境は、どんな形でもよかったんです。自分がこの人生を終わらせるとき、幸せだったと笑って死ねるその一瞬のために、正直に生きる。それが僕の求める生き方なのだと思うのです。

僕も昔から、なにかの判断に迫られた時。この考えで道を選んできました。
仕事をとるか、彼女の人生を取るか。今の会社にとどまるべきか、大海に飛び込むべきか。

死を予感する(といっても仮想の領域ですが)局面に、真っ向から向かい合ったとき。
誰でも自然と、そしておのずと自分の選ぶべき道を、不思議なぐらい自然に歩き始めるんだよね。

明日僕は死ぬかもしれない。だから今できることを今やる。
ってことなんだろうな。

なんかポエマーなエントリになってしまった…。

見直すとこっぱずかしいので、次回からはまた違う内容でのエントリを書きますww

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