人はなぜショボさを感覚的に判断できるのか

2008.05.03 土曜日

久しぶりの投稿なんですが、ちょっと論理的な内容です。

 


■「愛」や「寿命」が注がれているか

先日、地下鉄に乗っていたら、動物園の車内広告が目にとまりました。
「たのしいドキドキがいっぱい」「みんなおいでよ♪」的なコピーが入った、冴えないマスコットがにっこりほほえんでる、ぱっと見しょぼい感じのよくある広告。

でも、「しょぼい」ってのは、おそらく僕以外にも感じる人は多いんじゃないかな。

そのしょぼさ故に、「楽しそうだから今度行ってみよう」とかも思わないし思う動機がない。広告の作り手、企画した人の「愛」「寿命」が注がれていないと、こんなアウトプットが作り出されるのは、この業界でもよくある話。

薄っぺらいキャッチコピーも、子供”っぽい”マスコットキャラクターも、おそらく作りだした本人は「これイイわぁ♪」と思っていない。
でも、上層部もたいした「愛情」を持っていないから、それっぽく出来上がったこの企画を通す。これが負の要素を生み出すフローになる。

この車内広告の件にかぎらず、おそらくこういった流れがこの動物園内部に蔓延してるかもしれない。

 


■話は戻って、なぜ「ショボい」って感じるか。

作り手の愛がこもっていないこと、自分が第三者の立場になって実際に行きたいと思えるものかを判断できていない部分にありそう。
結局人ごとになってるのが、かたちになって細部ににじみ出ちゃってるんだよね。

これって、デザイナーのみならず、素人の人でも感覚的に判断できることなんだろうと思う。

人は皆、テレビや新聞、中吊り広告やネットの広告などなどなど、いやという程情報を見せられて、感覚的に不必要な情報は無意識のうちに除外するようになってるはず。なのでデザイナーなどの専門職と比べて、審美眼的なものは同じ。もしくはそれ以上。

 


だからショボい仕事は、感覚的にだれでも判断できるし、そんなものには数秒で記憶から抹消されちゃう。
広告のみならずサイト制作などでもそう。ショボい制作会社は依頼側も「なんとなく」避ける。

サイトで詠っていること。過去の実績。サイトからにじみ出る会社の考えなど。
みんなちゃんと見てる。ちゃんとって言うのは細部までじゃなくて、ページを見て1~2秒で感覚的にジャッジしてる。
“わかる人”は確実に、感覚的にそこは避けて通っているはず。

 


クライアントからの仕事を「自分の心血を注いで育てる実の子ども」のように感じるか、「お客さんから依頼が来た新しい案件」として捉えるかで、スタート地点(考え方、現状を取り巻く要因を見渡して咀嚼できる視野の違い)が変わってくる。

後者のスタンスだと、お客さんもそれを見抜く。感覚的に、なんとなくな感じでも確実に見抜く。
それを感じ取って軌道修正しないといけないわけであり。具体的に言葉にして言ってはこないけど、どんどん距離を置かれる。

デザインのみならず、プログラマ仕事でも「使い勝手」や「汎用性」の実装度として、リアルに現れてくるんだよね。
やけに機械的に作ったにおいがぷんぷんする感じ。使う人の1つの動作、1クリックの重要度もなにも考えていないトゲ。

 


自分もそうならないように、客観的な視点・責任を持った仕事を忘れないようにしないと。

という自戒を込めたメモエントリでした。

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